映画鑑賞力と演技力 -『累-かさね-』のこと- #6
つい最近、Twitterのほんの端っこの方で「映画鑑賞力」なるものが話題になった。
なんでも『アントマン&ワスプ』を「アクション最高!メンタル最高!」的な文脈で褒めたところ、「問題児の部分(窃盗など)も含めて勧めないのは《映画鑑賞力》が低い」との反論があったらしい。
この《映画鑑賞力》って数値化できないもので、それはつまり各人の主観のが入ることを意味している。
同じ映画でもアクションが好きな人はアクション部分を褒めるし、ドラマ映画が好きな人はドラマ部分の素晴らしさを褒める。そこに優劣はないし、TwitterというSNS上でわざわざ全体を説明する必要はないはず。(逆に言うと受け手側は一つのソースだけで物事を判断してはいけない)
芸術・文学全般に言えることだけど価値基準に絶対はない。
ここに関係して『累 かさね』を観て「《演技力》とは?」と思った。
漫画原作の『累 かさね』の粗筋(私見入り)を書くと、「顔は美しいが演技力がイマイチの、駆け出しの傲慢な女優(土屋太鳳)」と「《演技力》はずば抜けているけど、子供の頃に顔に大きな傷を負い、世間から隠れて後ろ向きに生きる女(芳根京子)」が不思議な口紅で顔を入れ替えながら芸能界で輝くことを目指す、というもの。
主に土屋太鳳が「下手な演技」と「上手な演技」の両方を演じ分けるわけだけど、どうしても違和感を抱かざるを得なかった。
違和感の原因を辿ると「『上手な演技』を上手と思えなかった」からだと言う事がなんとなくわかった。「上手な演技」って必ずしも激しく踊ったり、大きな声で叫んだりする事を意味するわけではないはず。「これは凄いけど上手いのか?」と思ってしまった部分があるのは確か。
漫画だと読者の想像力に任せられる部分なだけに、映像になると「作り手側のその辺の価値観が出ちゃうものなのかな」と思った。
それでもあえて言おう。
土屋太鳳、芳根京子の「演技」は2人とも素晴らしかったので、映画館で観て良かった。
「難易度が高い」「難易度が低い」について #4
「難易度が高い」「難易度が低い」という表現にどうしても納得できない。
「難度が高い」「難度が低い」が正しいという思いが拭いきれない。
難易度は「難しさ、易しさの度合い」のことであって「難しさの度合い」のことじゃない。
まあ言葉は生き物で、こうした表現が市民権を得ているのは確実だから受け入れるしかないんだけど...
(業務)時間への意識の世代間ギャップの話 #3
(今回は半分以上愚痴)
毎日お昼ご飯を一緒に食べる先輩(30代前半)がいる。
先輩は自分とは違うグループにいるのだけど、お昼休みに入っても、毎日のようにその上司(アラフィフ)に捕まっている。長い時には20分以上...
入社以来違和感を抱き続けているのだけど、休み時間は労働への対価が発生しない、いわば「各社員個人の自由時間」なので、拘束するのはおかしいと思う。
(緊急ならまだしも殆どは午後に回せば良い内容ばかり...)
で、そういう拘束行為というか(敢えて言うなら)ダラダラした働き方をしているのは、職場では上の世代の管理職ほど顕著な現実。(そしてそういう人ほど残業も長い...)
そうやって鍛えられてきたのだろうけど、それを下の世代に押し付けるのはやめて欲しい。
定時内はしっかり働いて、休み時間はしっかり休んで、サッと帰る。
基本的にはこういう働き方をしてこそ効率的だし、個人も会社も幸せだと思うし、そこに向かって努力すべきなんだよな〜。
夏の甲子園 100回記念大会の話 #2
平成最後の夏休み1番の思い出。
第100回全国高等学校野球選手権記念大会(通称夏の甲子園)に初めて行ったこと。
小さい頃から当たり前に見ていたけど、行く機会がなかった甲子園。
早稲田実業と駒大苫小牧の伝説の決勝が行われた甲子園。テレビで観てたなぁ。
そして今回。記念大会ということで友人とともに。
外野席に座った時の球場の、特にスタンドの広さ。
そして翌日もう一回行って大阪桐蔭戦で一塁側アルプススタンドに座った時のアルプスの盛り上がり、チアリーダーやブラバンの応援。(始発で行ってチケット買ったのも良い思い出になりそう)
2日間で6試合観たけど、大阪桐蔭本当に強かったなぁ、選手が自由に動いてる感じで。優勝するかも。
日焼けとともに元気もらったなー。
次は内野席に観に行きたいな。
(ただ明日はとりあえず金足農業を応援する笑)
始めてみました。 #1
大好きな映画を観た日の昼。
ゆっくりまったり。
やっていこう。